中国の本質はどうにもならない野蛮国家

随分前に、世界中のプリマから大変な尊敬を受けているモナコ王立バレエ学校の老女性教授が来日した。
その時に彼女が芸術家の存在意義について語った言葉である。
『芸術家が大事な存在なのは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する事が出来る唯一の存在だからです。』
彼女の言葉に異議を唱えるものはいないだろう。
高山正之は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるだけではなく、戦後の世界で唯一無二の芸術家と言っても全く過言ではない。
一方、大江、村上、平野等、作家と称する人間達、自分達を芸術家だと思いこんでいる人間達の多くは、芸術家の名にも値しない存在なのである。
何故なら、彼らは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する、どころか、朝日新聞等が作り出した嘘を表現して来ただけの人間達だからである。
彼らの様な存在は、日本に限らず、世界中の国においても同様なはずである。
つまり、真の芸術家とは、極少数しか存在していないのである。
私が、今の世界で、最もノーベル文学賞に相応しいのは、高山正之を措いて他にはいない、と言及している事の正しさを、本著も、痛切に証明している。


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中国の本質はどうにもならない野蛮国家
石平 
中国も同じですね。
いつもどこか強いものに支配されて、強いものに服従したがる。
それが一種の安心感につながっている。
一種の「奴隷根性」とでもいいましょうか。
高山
石平さんは、そこをよくおわかりでしょう。
日本では、たとえどんな暴君が出現したとしても、イワン雷帝毛沢東のような悪逆非道な人物は出てこない。
これは日本人には理解できないはずです。 
しかも毛沢東は、一反の土地から六万トンも米が収穫できたなどと、平気で嘘を言う。                                  
あり得ない話が普通になってしまうのです。
日本人だったら「バカを言いなさんな」で終わっちゃう話が、そうならない。 
考えてみれば、中国は第二次世界大戦における「日本の軍国主義」を非難するけれど、日本国民は「自らの意思」で戦場にも行っているのです。
「この戦争で、欧米列強に虐げられているアジアを解放しよう」という崇高な志を持っていた。 
1951年のサンフランシスコ対日講和会議に参加した当時のセイロン代表ジャヤワルダナ(のちに大統領)は、「アジア諸国が植民地だった時代、日本だけが強力かつ自由で、我々を解放する守護者として仰ぎ見ていた。日本が掲げたアジア共栄のスローガンは我々に強く訴えるものがあった。戦争が始まると各国の指導者は祖国の解放を望んで日本に協力した」と述べ、米国務長官ダレスの対日非難演説を否定し、セイロン(現スリランカ)は対日賠償請求権を放棄したのです。 
第二次世界大戦に当たって陸軍参謀の辻政信が書いた「歩兵に与うる」という冊子がありますが、そこには「中国人には大義というものを説明してもわからないから」と書いてあります。
「だから協力は不可能である」と。
そして”戦にあたっての心構え”を、微に入り細にわたって訓示しています。
これは、ある程度の教養がないと理解できないものなんです。
日本陸軍の歩兵はそれをちゃんと読んで、その通りに行動しています。 
こういう日本の「合理性」に比べると、中国は野蛮きわまりない。
明朝の悪逆非道ぶりを見るまでもなく、方孝儒(ほうこうじゅ)のような悲劇が起こる。
石平
明代の思想家のことですね。恵帝に仕えていて、永楽帝が乱を起こすと永楽帝討伐の檄を書いた。
しかし永楽帝が即位すると、その名声もあって即位の詔書を書くことを命ぜられるんですが、方孝信は拒絶して磔刑に処せられ、一族847人も死罪になった。
高山 
僕はその経緯を読んでいて、「どうして誰も止めないのか」と不思議に思ったくらいです。
永楽帝が帝を継ぐときに、「それはあなたの天命ではない」と忠告した。「人の帝位を奪った」というわけです。
すると永楽帝は「なにを生意気な」と、方孝儒と家族一同を殺してしまう。
こんな乱暴な話はありませんよ。
石平 
家族どころか九族もろともですからね。
高山 
父方の家族、父方の母方、母方の父方まで九族を丸ごと抹殺してしまう。
最後は弟子に至るまで惨殺。
恐ろしいと言うより周囲にしてみればこんなはた迷惑な人はいない。
石平 
それどころか、中国の歴史の中では美談として語られていることが問題なのです。   
「九族を殺されても節を曲げなかった」と賛美されている。
でも私からすれば、永楽帝から即位の詔書を書くように命じられたのですが、「だったら書けばいい。親族全員が殺されるくらいなら節を曲げればいいだけじゃないか。何百人の命を考えたら、お前一人の節なんかどうでもいいじゃないか」と思う。
しかし彼は書かない。
要するに、理不尽な理由で九族の人々の命が失われたことに対して、中国人は誰もそれを問題視しない。
むしろ逆に「大義がすべて」だと考える。朱子学もその傾向を引き継いでいますけど。
高山 
しかし、「大義」というものほど、本来の中国人に馴染まないものはないんだけどね。
現実に大義がないんだから。
石平 
その通りですね。
でも、大義がないからこそ、ことさらに強調されるんですよ。
高山 
そうか……。

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