現在、アメリカでは半導体が不足している。日本に作らせておけば不足に悩むこともなかった。おバカな国だねえ、アメリカは。

以下は、只今、発売中の月刊誌Hanadaに、今年も続く「終わりなき戦争」、と題して掲載されている、
堤堯、久保紘之による対談特集からの抜粋である。
月刊誌Hanadaが、21世紀に生きている人間として、真実・真相を知りたいと考えている人間の必読書である事は何度も言及している通り。

前文省略
米国による“外科手術”
堤 
ところで、1979年に社会学者のエズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が出た。
日本経済の高度経済成長の要因を分析し、それを高く評価したけど、それから40数年経ったいまや「ジャパン・アズ・ナンバーフォー」になってしまった。
「世界第三位の経済大国」と言われてきた日本が、今年の名目GDP・国内総生産でドイツに抜かれて4位になる見通しだ。
一人当たりのGDPも2022年に台湾、23年には韓国に抜かれている。
日本の国力が総合的に見て減退しているのは明らかだ。
その理由は何か。
いろいろあるけど、何と言ってもアメリカからの種々の圧力が大きい。 
忘れがたい映像がある。
東西冷戦を終結させたのは米大統領レーガンソ連書記長ゴルバチョフの二人だけど、ゴルバチョフの訪米に応える形でレーガンが訪ソした時のことだ。
2人が肩を並べて歩きながら、こんな会話をする。
ゴルバチョフが訊く。「大統領、第二次大戦の勝者は誰だと思いますか」 
レーガンは「ナヌ?」といった表情でゴルビーの顔を見る。
彼にすれば勝者は米英ソに決まっている、なのに何を言い出すんだといった思いだ。
構わずゴルバチョフは言う。 
「いいですか、真の勝者はね、日本とドイツですよ。そう思いませんか」 
日本もドイツも東西冷戦の漁夫の利を十分に得た。
ゴルバチョフの真意に気付いたレーガンは、「なるほど、たしかに」と応じて二人で笑った。 
あとで思えば、これがそのあとに来る事態の幕開けだった。
当時の日本はバブル景気の真っただ中で、日本の不動産業者はNYの34の物件を買い占め、なかにはロックフェラー・センタービルを含む。
あげく、銀座一帯の土地代で米国十州を買えるなどとバカげた議論も横行した。 
東西冷戦が終わるや、アメリカの対日世論は一変した。
ソ連に代わり日本を「第一の脅威」に挙げ、日本経済脅威論が湧き起こった。
あげく、「日本異質論」を掲げてジャパン・バッシングに狂奔する。 
とりわけ注目すべきは、「これからの主敵は日本だ』と定めたクリントン政権の動きだ。
93年のクリントン×宮澤喜一の密談をキッカケに、日米構造協議と称して日本に”外科手術”を施し、日本を骨抜きにする工作が始まった。 
「日本的システムを変えろ」と迫り、”外科手術”は金融から司法にまで多岐に及んだ。
アメリカが押し付けた構造協議案を見た日本の官僚たちは憮然として言った。
「これではまるで第二の占領政策じゃないか」とね。 
戦争に負けるとはこういうことかんだろうね。
敗戦処理には百年かかると言われている。
いまは終戦かに78年、いまだ敗戦処理の最中とも言える。
改めて捩り返ってみると、戦後、クリントンほど日本を敵視した大統領はいない。
サックスでも吹いていればよかったのに、大統領まで上り詰めて何をするかと思えば、大統領執務室で修習生モニカ・ルインスキーと”不適切な関係”を持った。 
それだけならまだしも、ルインキーとのスキャンダルで弾劾にかけられ、下院本会議での審議が始まるまさにその日に、クリントンはリビのカダフィとアフガンのオサマ・ビラディンに向けて46発のミサイルを撃ち込んだ。
翌日の新聞のヘッドラインを変える工作だ。
ために、たしかオサマの娘が死んでいる。
これがのちの9・11事件の遠因だよ。

日米電子戦争での敗北
久保 
僕がクリントンで思い出すは、日米電子戦争です。
当時の日本は第5世代コンピューターの開発などでドイツと並び、電子産業で世界最高レベルのハイテク技術を誇り、アメリカに大きく先行していました。 
ところが、リクルート事件が起きて、NTT会長の真藤恒が逮捕された。
その直前、真藤は新聞のインタビューでこう語っています。
「(自分の逮捕で日本の情報化時代は)10年は遅れるだろう」と。 
事実、真藤の逮捕で開発は停滞。
そこヘクリントン政権が発足し、すぐさま「日独を冷戦の勝者にさせない」のスローガンのもと、日独経済弱体化戦略によって研究開始。
その結果、日本はあっという間に追い越され、アメリカが電子金融戦争の勝者となったのです。 
ロナルド・モースによれば、「クリントンアメリカは、インターネットやコンピューターテクノロジーなどの情報革命に国防予算のなかから資金を調達した。つまり、デュアル・ユース(軍事的にも商業的にも使用できる)の未来型工業に国家予算を投入することを優先した」。 
日本が決定的な遅れをとった最大の原因について、月尾嘉男(工学者、東大名誉教授)は「通信戦略が政府の政策ではなかったから」と指摘しています。
現在、NTT法改正の議論が進んでいますが、その意味では、かつて真藤が”予言”した「10年遅れ」どころか実に40年遅れで、ようやく日本が政府の政策として再び世界と伍するために動き出した、と見るべきでしょう。 
しかし、僕は日本が決定的な遅れをとった原因の根底には、「日本国が再び米国を脅かすことのないよう」で始まるマッカーサーの「敗戦後における米国の初期対日方針(SWNCC
150)、いわゆる日本弱体化政策があったと思っています。
この初期対日方針の原則は、たとえば平成7年7月に公表された米国防総省の「アジア・太平洋の戦略的枠組み」はじめ、間欠泉の如く事あるごとに噴き出してくる。
クリントンの情報革命をめぐる「対日・独弱体化戦略」も、明らかにそれに則ったものでしょう。 
岸田は「2030年までが少子化傾向を反転のラストチャンス」と言っていたけど、少子化だけでなく、電子戦争においてもここがラストチャンスなのです。 
しかしその前に岸田が、というより日本が決意すべきこと、それは「自由の民たる気骨は独立不羈の精神、目尊の気風と同義で、それは同時に国民的誇りの感情や国家の名誉という観念に不可分に結びつく」という強い自覚のもとに『敗戦後遺症シンドローム』(勝田吉太郎)から脱することー
そのためには一にも二にも、戦後マッカーサー憲法を改正すること以外にないのですよ。
堤 
電子分野だけでなく、半導体についてもアメリカからの圧力で日本が立ち遅れる羽目になった。 
かつて日本の半導体は世界で8割のマーケットシェアを占めていたが、日米貿易摩擦アメリカから「ダンピングをやっている」などと圧力をかけられ、さらには「韓国に技術を譲ってやれ」と強要されて、サムスンやLGなどに技術移転させられた。 
キメ手はプラザ合意で押し付けられた円高で、これによって輸入はともかく輸出がやられて、日本の半導体産業は人件費の安い韓国や中国に抜き去られてしまった。 
現在、アメリカでは半導体が不足している。
日本に作らせておけば不足に悩むこともなかった。
おバカな国だねえ、アメリカは。
いま台湾に固執しているのも、TSMCがあるからだ。
あれがなかったら、アメリカは台湾がどうなろうが知ったこっちゃなかったんじゃないか。 
TSMCの存在は、産業が国家安全保障の一助になる一例と言える。
目下、アメリカでも日本でも半導体を作り始めていて、何年かすると自前で何とかなるかもしれない。
その時、アメリカは台湾から手を引く可能性は十分ある。
習近平はそれを狙って待っているかもしれないね。
後略

2023/12/23 in Kyoto