私にとっては本当に有り難く大恩のある先生の話を聞いて初めて知った事があったからである。
2016年02月24日
先日、私が流石だな思ったことがある。
私にとっては本当に有り難く大恩のある先生の話を聞いて初めて知った事があったからである。
私が中学生時分の恩師は教師としての人生を全うした人である。
先生は閖上中学校から転勤されて名取市の各中学校で教鞭を取られた。
小学校5年生にして高校3年生の能力を授かって生まれた私だったが、それだからであろう、神様は、同時に試練も与えた。
その試練が、当時の私には、どうしようもなく大きなものだったから、私はエリートとしての約束された人生とは全く違う、正に正反対の人生を歩んだ。
私の母校である日本を代表する進学校の一つである仙台二高の卒業生で、私の様な人生を送った者は一人もいないと私は確信している。
二高の恩師から…高校2年生の私を二回も、私の方が、この単元は詳しいからと言って、教壇に立たせて、宮城県下の中学校の1,2番だった秀才たちの前で講義させた先生である…「お前は京大に残って、その両肩で京大を背負って立て」などと命ぜられた様な人間が、京都のうどん屋さんのバックヤードで、キャベツ切りの機械で一日中、キャベツを切り、夜は、中途半端な暑さではない菓子工場の2階の部屋で寝ていたなどという日々を送る者はいないからである。
それはいわば、一生働いて年収500万円の日本国民の90%超と全く同じ人生を歩んだのだ。
そこから実業家と成ったのは、彼等とは違って家族4人の屈託ない幸せな人生をも神様は試練として与えなかったからだ。
その事に気づいたとき、私は以降の10年間は、読みたい本も読まない、観たい映画も観ないと決意して、ある年には、1年間に休んだのは2日だけ、正に仕事に没頭する人生を送った。
この稿続く。