私が彼から聞いた言葉の中で一番良い言葉だった。

私が彼から聞いた言葉の中で一番良い言葉だった。
2017年12月19日

昨夜、録画して置いたマーチン・スコセッシ監督の「No Direction Home」を少し睡眠時間を削って観ていた。終了と同時に就寝。

さっき、エンドロールの部分を観ていた。エンドロールは♪Like A Rolling Stone♪と共に流れる。その後である。この曲がずっと流れる。これは初めて聴く曲だった。流石にスコセッシが最後に流すだけのことはある、実に良い曲である。

太平洋に面した港町である閖上に生まれ育った私には、なおさら、とても良い曲だった。

ボブ・ディランは...「文明のターンテーブル」を書くために生まれて来た...書かせるために神が与えた天才が、路傍の石として人生を歩みだした時、いつも支えてくれた恩人の一人である。

例えば、心斎橋に在ったソニービル

そこにはソニーの見事な音響製品で彼のレコードが聴けるコーナーがあった。

閖上小学校の5年生だった時、全国一斉の学力テストか、知能テストの結果が判明した時の事である。この天才は、校長室に呼ばれた。「君は既にして高校2年生の能力を持っている…」

閖上中学校の2年生だった時、知能テストがあった。永遠に敬愛しているだけではなく本当に恩師だった先生から電話が在った。「大変な数値が出ている…」

仙台二高の2年生だった時、宮城県下の中学校の1,2番が集まる日本を代表する進学校で...生徒たちからとても人気があった...母校の卒業生でもある世界史の教師は...或る単元になると、「ここはKの方が詳しいから」と言って、私を教壇に立たせて、1時間×2回、講義をさせた。

廊下で邂逅した時、「お前は京大に残って、お前の両肩に、あの大学を背負って立て…」と私に言った。

彼も、同級生の誰も、私が抱いていた家庭の苦しみは知らなかった。

私の家は8人家族、故郷ではいわゆる名士の一員だっただろう。だが決して、いつも幸せな家庭ではなかった。

京都で、ラーメンにライスの様な食生活をしていたにも関わらず、不二家の零下30度ぐらいの倉庫で、クリスマスケーキなどを出し入れするバイトをしていた。坐骨神経痛を通り越して、神経炎を患い、足が折りたためられなくなった。帰郷した。治療に専念していた。

或る日、大阪の友人から電話が在った。立っていると辛いので、椅子に座って電話をしていた時だった。父親が「皆、立って電話しているんだからお前も立って電話せい…」、

陸上部の先生に付いたら、100mを10秒台で走れるとも言われていた私は右手で電話帳を投げるが早いか、父親の前に立っていた...電光石火の早業とは、この事だろう。父親の顔面に3発のパンチが飛んだ。本当に何もかも一瞬の出来事だった。

言うまでもなく、殴った私も、殴られた親父も良い気持ちであるわけはなかった。

戦争の時代に船主の一族に生まれた父親は高等小学校の総代だったらしい。群馬県が故郷の母親も奇しくも同様だったらしい。

親父は勉強がしたかった。漁師である祖父は「漁師のせがれに学問は要らない」として、漁師にしたらしい。

そうしているうちに戦争が始まった。

親父はミンダナオ島かどこか激戦区に軍人として動員された。生還した。勤労動員されていた母親と出会った。

戦後、公務員試験に合格して県庁の職員となって永年勤続を表彰された。

仕事は出来たが学歴が無いから一生、係長どまりだった。

その鬱憤で頻繁に8人家族を地獄に突き落とした。

彼は微動だにしなかった。微動だにせず、黙って私のパンチを受けた。閃光のような一瞬が過ぎた後、彼は私に言った。

「ここは俺の家だから、お前が出ていけ…」

私が彼から聞いた言葉の中で一番良い言葉だった。

翌日、私は新聞の求人欄で見つけた東京の羽田空港近くの「住み込み可」のシャーリング工場あてに布団袋を送った。

私が着いた時、会社の全員が大広間の様な所で迎えてくれた。とても暖かい出迎えだった。

だからこそだろう。私は、ここでは暮らせないと即座に思った。

昨日まで...やれ、サルトルが、キルケゴールの、フリトヨフが海を見やる眼差しがどうのと言って、

日本を代表する進学校の文科系を代表していたような人間が、いるべき場所ではなかったからである。

私が京大にいくものだとばかり思っていた無二の親友の一人が京都で下宿していた。

私は咄嗟に彼宛に荷物を送った。

彼にかけた迷惑を今でも無念に申し訳なく思っている。

様々な仕事をして...言わば生き延びていた時、頻繁にソニービルで、ソニー自慢のターンテーブルボブ・ディランのLPを載せてソニー自慢のヘッドフォンで聴いた。

親指トムのブルースのように♪♪女の如くに♪♪ラブ・マイナス・ゼロ♪など、など。

昨夜、或る評が流れた時、ボブ・ディランの天才が、私の天才を覚醒させた。

Lay Down Your Weary Tune

WRITTEN BY: BOB DYLAN
Lay down your weary tune, lay down
Lay down the song you strum
And rest yourself ’neath the strength of strings
No voice can hope to hum

Struck by the sounds before the sun
I knew the night had gone
The morning breeze like a bugle blew
Against the drums of dawn

Lay down your weary tune, lay down
Lay down the song you strum
And rest yourself ’neath the strength of strings
No voice can hope to hum

The ocean wild like an organ played
The seaweed’s wove its strands
The crashin’ waves like cymbals clashed
Against the rocks and sands

Lay down your weary tune, lay down
Lay down the song you strum
And rest yourself ’neath the strength of strings
No voice can hope to hum

I stood unwound beneath the skies
And clouds unbound by laws
The cryin’ rain like a trumpet sang
And asked for no applause

Lay down your weary tune, lay down
Lay down the song you strum
And rest yourself ’neath the strength of strings
No voice can hope to hum

The last of leaves fell from the trees
And clung to a new love’s breast
The branches bare like a banjo played
To the winds that listened best

I gazed down in the river’s mirror
And watched its winding strum
The water smooth ran like a hymn
And like a harp did hum

Lay down your weary tune, lay down
Lay down the song you strum
And rest yourself ’neath the strength of strings
No voice can hope to hum

Copyright © 1964, 1965 by Warner Bros. Inc.; renewed 1992, 1993 by Special Rider Music