あの顔相の悪さは、彼らの青春時代が悲惨だったからだと言っても過言ではないのである。
2016年01月29日
前章のE.H.ノーマンについて言えば、私の仙台二高の同級生や先輩たちの中には、当時、LIBRARIAに掲載された、彼の安藤昌益についての本について書かれた論説を覚えている人が居ると思う。
後年、心に残っていた私は、パラパラと関係した本をめくった記憶があるが。
一昨年の8月前後に、彼についての、いわば、衝撃の事実を、或る月刊誌を読んでいて知ったのは、何とGHQにいたことや、何よりも、ソ連のスパイだったという衝撃的な事実を、である。
元・東大教授だった酒井信彦さんが、朝日新聞とは何なのかについて書いた本は、本当の名著なのだが、彼は、この本の中で、私たちですら忘れていたことを思いだせているのである。
勿論、それは若い人たちは、全く知らない本当の事実である。
戦後の日本は、ずっと今では考えられない物騒な時代だった事を酒井さんは思い起こさせたのだ。
朝日新聞に代表される日本のメディア界で新聞記者を生業としたり、ものを書くことを生業とした人間たちは、殆ど全員が、この物騒な時代に育って学生生活を送り、甚大な影響を受けた人間たちなのである。
良く言えば、(現実の私の同級生たちには、そのような者たちは一人もいないが)、私の同級生の真ん中から下半分にいた、単なる受験優等生たちが、大半は田舎で育ち、東大や早稲田に入る。そこの講座はマルクスの資本論を元にしたものがほとんどの時代だった。あるいは、学内では共産党系の民青が幅を利かせていた。これに対抗する形で全共闘という、実に難儀な集団が、日本中の大学を席巻していたのである。しかも、その中には、中核や革マルなどのセクトが林立して、互いに、血で血を争う抗争を繰り広げていた。それこそ、東映のやくざ映画「仁義なき戦い」の様な有様だったのだ。だからこそ、この映画が、彼等に熱狂的に支持されもしたのだろう。
この様な時代を大学生として過ごした物騒な連中が、マスメディアに、知らぬ顔をして潜り込んだのである。
だから、何度か言及したTBSの「報道特集」に出演している人間たちの顔相や、戦争法案反対、安倍内閣退陣などと言って集団で記者会見を開いたりしている、大学教授や評論家や作家などと称している連中の顔相は、例えようもなく酷いのである。あるいは隠しようもなく酷いのである。あの顔相の悪さは、彼らの青春時代が悲惨だったからだと言っても過言ではないのである。
今の若い諸君たちは、そこのところが全く分かっていなかったはずである。
この稿続く。