基督教国が同性愛者を火炙りにしていたころ、江戸では57軒の陰間茶屋が大繁盛し、平賀源内はおかまのランク表も出していた。

以下は、本日発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明している。
随分前に、世界中のプリマから大変な尊敬を受けているモナコ王立バレエ学校の老女性教授が来日した。
その時に彼女が芸術家の存在意義について語った言葉である。
『芸術家が大事な存在なのは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する事が出来る唯一の存在だからです。』
彼女の言葉に異議を唱えるものはいないだろう。
高山正之は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるだけではなく、戦後の世界で唯一無二の芸術家と言っても全く過言ではない。
一方、大江…彼については、故人を悪くは言いたくないが(下記の高山正之に倣って言えば)村上等、作家と称する人間達、自分達を芸術家だと思いこんでいる人間達の多くは、芸術家の名にも値しない存在なのである。
何故なら、彼らは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する、どころか、朝日新聞等が作り出した嘘を表現して来ただけの人間達だからである。
彼らの様な存在は、日本に限らず、世界中の国においても同様なはずである。
つまり、真の芸術家とは、極少数しか存在していないのである。
私が、今の世界で、最もノーベル文学賞に相応しいのは、高山正之を措いて他にはいない、と言及している事の正しさを、本論文も見事に証明している。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。

先人の知恵
民俗学柳田国男はあるとき折口信夫から相談ごとを持ち込まれた。 
折口は和歌にも通じ、釈迢空の号も持つ。 
その歌の方の弟子藤井春洋と折口はいつしか愛し合い、同棲もしていた。 
ところが春洋に召集令状が届き、金沢聯隊に入ったあと、つい先日、硫黄島に送られてしまった。 
もし春洋が戦死でもすれば折口とは法律上ただの同居人でしかない。 
つまり遺骨も引き取れなければお墓にも一緒に入れない。
「何とかならないだろうか」が折口の相談ごとだった。 
柳田は「ならば春洋を養子に取り、我が子にすればいい」と答えた。 
確かに養子なら父は遺骨を引き取れる。 
春洋が生きて戻れば誰憚ることなく父と子として生活でき、折口の名も家財産もすべて彼に残せる。 
折口は柳田に謝してすぐ養子縁組を届け出た。 
春洋が硫黄島に着いて間もない昭和19年7月21日に届けは受理された。 
その半年後、米軍の硫黄島上陸作戦が始まり、春洋が配属された摺鉢山は山容が変わるほどの砲爆撃に曝され、全員玉砕の報が折口の許にも届いた。
春洋の最期の記録はなく、もちろん遺骨も戻らなかったが、御霊は彼の故郷、石川県羽咋市墓所折口信夫とともに眠っている。 
墓碑には「最も苦しき戦いに最も苦しみ死にたる陸軍中尉折口春洋並びにその父信夫の墓」とある。 
今、法に認められた同性婚を望む人たちがいる。
財産や相続問題もあるが、折口と同じに死が別った後の悩みを語る者もいる。 
柳田国男は80年も前にそうした悩みごとをごく合法的に解消した。
法的には親子になるけれど、隣近所には夫婦だと言っておいて何の問題もない。 
最高裁の前で筵旗(むしろばた)を振って「不当判決に抗議」とか騒ぐのが目的でなければ先人の知恵に倣うがいい。 
コーラン風に言えば「まこと日本社会の先人の教えは偉大なり」だ。 
LGBT問題も同じだ。 
基督教国が同性愛者を火炙りにしていたころ、江戸では57軒の陰間茶屋が大繁盛し、平賀源内はおかまのランク表も出していた。
ザビエルや朝鮮通信使は日本の衆道文化にただ驚くが、「女は男娼に及ばず」と逆に諭されている。 
彼らがそれを理解するまでもう400年もかかり、今ごろになってLGBに祝福を垂れている。 
それが癪なのか。
駐日米大使エマニュエルは「日本はまだT(トランスジェンダー)を赦していない」と因縁をつけてきた。 
この男は関西に行ったことがないのだろうか。 
例えば大阪のイベント会場の休憩時間を覗いてみるがいい。 
女子トイレに長い行列ができる一方、男子トイレの「大」は空き状態が続く。 
間もなくおばはんたちが男便所に入ってきて「今だけ男やでえ」とか言って大の個室に雪崩れ込む。 
男は笑顔でトランスジェンダー女を受け入れる。 
ただこの手の倒錯した性認識は「女性のみに許される」という不文律が同時に確立されている。
性先進国日本らしい節度だが、エマニユエルはそれが理解できない。 
トイレも浴場も「男女とも認めろ」と上から目線で言う。
恥知らずの大使だ。 
因みにこの大阪式トランスジェンダーは名古屋にも達しているとか。 
その名古屋で今、名古屋城復元に身障者のためのエレベーターをつけるかどうかの騒ぎが起きている。 
身障者側は「弱者に向いた行政」を求める。
対して大方は「復元の意味を知らない」「平等と我儘を混同している」と反発する。 
「足腰は悪いが高いところにも行きたい」という訴えは昔からあった。 
例えば讃岐の金毘羅さまだ。
せっかく詣でても大門まで365段、本宮までその倍の石段が待つ。 
そういうとき先人は石段駕籠を発案した。 
名古屋城も復元の暁にはそれに倣えばいい。 
受益者負担だ。
駕龍賃は思い切り高くしていい。