昭和48年「日本に移民してきた」と崔真碩…その後は「日本人名を名乗って」大学を出て、気づいたら今は広島大の准教授サマになっていた。 

以下は、高山正之が、月刊誌正論の冒頭を飾る「折節の記」を編集長のリクエストで匿名で書いていた時の論説をメインに集めて2015/2/28に出版した『アメリカと中国は偉そうに嘘をつく』からである。
日本国民のみならず世界中の人たちが必読。
真実を明らかにして私たちに伝えている彼の舌鋒の鋭さには誰もが感嘆するはずである。
論旨の鋭さにおいて彼の最高峰であるといっても過言ではない。

随分前に、世界中のプリマから大変な尊敬を受けているモナコ王立バレエ学校の老女性教授が来日した。
その時に彼女が芸術家の存在意義について語った言葉である。
『芸術家が大事な存在なのは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する事が出来る唯一の存在だからです。』
彼女の言葉に異議を唱えるものはいないだろう。
高山正之は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるだけではなく、戦後の世界で唯一無二の芸術家と言っても全く過言ではない。
一方、大江、村上、平野等、作家と称する人間達、自分達を芸術家だと思いこんでいる人間達の多くは、芸術家の名にも値しない存在なのである。
何故なら、彼らは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する、どころか、朝日新聞等が作り出した嘘を表現して来ただけの人間達だからである。
彼らの様な存在は、日本に限らず、世界中の国においても同様なはずである。
つまり、真の芸術家とは、極少数しか存在していないのである。
私が、今の世界で、最もノーベル文学賞に相応しいのは、高山正之を措いて他にはいない、と言及している事の正しさを、本著も、痛切に証明している。

中国韓国人を大学教授にするのが国際化か? 
ソウルに生まれ、昭和48年「日本に移民してきた」と崔真碩(サイシンケツ)は元沖縄タイムス社長に書いている。
その後は「日本人名を名乗って」大学を出て、気づいたら今は広島大の准教授サマになっていた。 
日本人が大学の先生になるのは大変だ。
学閥や学会が関門をつくり、例えばモンゴル学の世界的な泰斗、宮脇淳子はいまだに非常勤講師のままだ。 
しかし外国人だとそんな関門は一切ない。
昭和57年、グローバリズム化の一歩として「日本の大学の国際化のために外国人教員の任用が必要だ」という声が出た。
言い出したのは釜山生まれの桃山大教授、徐龍達。 
馬鹿な文部省がそれに乗って外国人教員任用法をつくった。
すでにこの時期、外国人の先生は717人。
その半数が支那、韓国人で占められていた。 
そして今。外人の先生は約6000人、その過半がどうでもいい支那、韓国人なのだ。 
だいたい彼らがどう日本の国際化に関与したか。
例えば福井県立大教授の凌星光は支那の海底ガス盗掘について「日本は主権を棚上げにしろ」(朝日新聞)と主張した。
国際見識はゼロ。
支那の伝言役に過ぎない。 
束洋学園大教授の朱建栄は3万人学生を殺した「天安門事件はなかった」と言い、東海大金慶珠は「日本は悪い」「在日に参政権を」しか言わない。 
国際化とは支那朝鮮の都合に合わせることかと錯覚する。 
中でも崔は悪質だ。慰安婦の虚構を一方的に日本の学生に押し付け、自虐史観を煽る。
こんな輩が堂々、教壇に立っている。     
問題は安倍政権にもある。
日本への外国人留学生を30万人にしたい、それに洽って外国人も先生も3倍にしたいと。 
現状の支那、韓国を見れば、その猥雑な騒々しさを含め、彼らに国際性の片鱗もないことが知れる。
そんな彼らを易々と神聖な教壇に送り込む愚を一刻も早く改めねばならない。