あろうことか、有史以来、世界最高の民度を誇る日本国を分断、破壊する工作に加担しているのだから、その低能ゆえの罪は救いがたい。

以下は2023/6/8に発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明している。
随分前に、世界中のプリマから大変な尊敬を受けているモナコ王立バレエ学校の老女性教授が来日した。
その時に彼女が芸術家の存在意義について語った言葉である。
『芸術家が大事な存在なのは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する事が出来る唯一の存在だからです。』
彼女の言葉に異議を唱えるものはいないだろう。
高山正之は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるだけではなく、戦後の世界で唯一無二の芸術家と言っても全く過言ではない。
一方、大江…彼については、故人を悪くは言いたくないが(下記の高山正之に倣って言えば)村上等、作家と称する人間達、自分達を芸術家だと思いこんでいる人間達の多くは、芸術家の名にも値しない存在なのである。
何故なら、彼らは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する、どころか、朝日新聞等が作り出した嘘を表現して来ただけの人間達だからである。
彼らの様な存在は、日本に限らず、世界中の国においても同様なはずである。
つまり、真の芸術家とは、極少数しか存在していないのである。
私が、今の世界で、最もノーベル文学賞に相応しいのは、高山正之を措いて他にはいない、と言及している事の正しさを、本論文も見事に証明している。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。
NHK等は、本論文で彼が明らかにしている史実を、日本国民に殆ど知らせない。
それどころか、NHKは今でも日本軍は残虐行為をした、日本軍は悪だ等という報道を特集番組を編成して行い続けている。
GHQに洗脳されたままの自虐史観を持ったNHKの報道部を支配している人間たちは、世界に2国しかない反日国家である、中国と韓国のプロパガンダに支配されているといっても過言ではない。
この両国は、反日教育という名のナチズムを行い続けている全体主義国家であり、プロパガンダ以外には何もないと言っても過言ではない。
日本テレビ、TBS、テレビ朝日、フジTV、テレビ東京、これらも同様である。
先日、言及した様に、彼らは、日本国民の5%前後の支持しか得ていない立憲共産党にシンパシーを抱いている。
それが日本を停滞させて来たのである。
彼らの報道の態様が、安部さん暗殺の大きな原因の一つである事は、歴然たる事実である。
彼らの愚劣さは愚劣な岸田を愚劣の極みであるLGBT法案成立に盲動させている。
彼らと政治屋達は、クラウス・シュワブ、キッシンジャー習近平等の工作員、或いは傀儡といっても過言ではない。
あろうことか、有史以来、世界最高の民度を誇る日本国を分断、破壊する工作に加担しているのだから、その低能ゆえの罪は救いがたい。

留用日本人  
帝政時代のロシア人はまだまともだった。  
日露戦争では負傷した日本兵を見つけると十分な手当てをしてメドべージの収容所に送った。  
日本人捕虜は1592人。 
「待遇は良かった」と送還後に報告している。  
それから40年。
スターリンの下で共産化した彼らは人間をやめていた。  
彼らは日本の敗戦を待って満洲に攻め入り、略奪と強姦をしまくった。  
ポツダム宣言で「速やかな復員」を約束したのに60万将兵はシベリアに送られ奴隷として働かされた。  
スターリンは北海道占領も企てたが、占守(しゅしゅ)島で日本軍に叩きのめされた。
その腹いせに留萌沖で引揚げ船に魚雷をかまして1708人の日本人を殺した。 
プーチンはこの犯罪行為で得た北方四島も返さない。
引揚げ船撃沈も謝罪しない。
ヒトはひとたび共産化するとみなモラルも良識も失ってしまう。 
では支那人はどうか。 
日本人は日清戦争のときに共産化する前の支那人とまみえる機会があった。 
日本では荻生徂徠の昔から支那は徳の国で支那人孔子の教え子だと思っていたが、大違いだった。 
彼らは共産化したロシア人よりももっとたちが悪く残忍で卑劣だった。
日本人は緒戦の豊島沖海戦で敵巡洋艦「済遠」の振る舞いに驚かされた。 
この艦は被弾すると白旗を上げて停った。
日本艦が拿捕に向かうといきなり魚雷を放って逃げた。
ズルと機略の区別もつかない。 
もっと吃驚(びっくり)は戦争が終ってからの捕虜交換だった。 
日本側は戦中でも1万近い兵を宣誓解放していたが、加えて内地の病院で手当てした1644人を送還した。 
対して支那が戻したのは1人だけだった。 
数百人はいたはずの日本軍捕虜は、実はその場で耳と鼻を削がれ、目玉を抉られ、手足を切る「野蛮惨毒の所為」(山縣有朋)によって殺されていた。 
これが赤くなる前の支那人の姿だった。 
そして半世紀。
第二次上海事変で日本軍は再び支那軍とまみえたが、その半分は共産化していた。 
彼らにはスポンサーがついていた。
支那を終の「マニフェスト・ディステイニ―」と定めた米国で、国務長官スティムソンは蒋介石に「満洲もモンゴルも支那人にくれてやる。その代わり日本を戦争に引きずり込め」と命じた。 かくて在留邦人へのテロが始まり、通州では250人が惨殺された。 
蒋は次に6万精強軍に上海の日本租界を攻めさせ、邦人皆殺しを図った。
日支事変の始まりだった。 
日本が戦力の大半を支那大陸に注ぎ込んだところで米国が挑発してきた。
日本は二正面で敵と戦争する羽目に追い込まれた。 
日本が力尽きたとき、北の方で赤いロシア人が日本軍捕虜を攫(さら)い始めたが、支那大陸でも支那人と赤い支那人が日本人捕虜の取り合いを始めた。 
彼らはポッダム宣言など読みもしない。
山西省では閻錫山(えんしゃくざん)が2600人の日本軍部隊を丸ごと指揮下に入れて毛沢東の赤い支那人と戦わせた。
550人がこの地で戦死した。
捕虜を戦わせる。スパルタカスもやらない非道だった。 
八路軍はもっと悪い。
いつもの略奪をやりながら開拓村の民間人男女を徴発して輜重(しちょう)兵や看護婦として戦場に送りこんだ。
蒋介石軍が敗れた後も復員はなかった。
終戦から5年後に始まった朝鮮戦争にも3万人を動員し、半分が戦病死した。 
赤い支那人関東軍の操縦士、整備士らから満鉄の技師まで捕えて中共の空軍立ち上げや鉄道建設に従事させた。 
炭鉱管理に徴用された日本人技師の一人は支那人上司の使い込みの罪を擦り付けられ、裁判もなしで処刑されている。 
1954年10月の国慶節の折、招かれた日本側代表に周恩来は数万人に上る強制残留邦人を「留用日本人」と呼び、「彼らは自由意志で新中国建設に協力した」と語った。 
赤い支那人は見え透いた嘘でも平気でつく。


2023/6/7, in Osaka