以下は定期購読専門の月刊誌テーミス今月号からである。
私は、高山正之の連載コラムを読むために購読している。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明している。
私の親友は、本論文を読んだ後に言った。
「私は、あなたと高山正之が呼応している事を確信した」
キッシンジャーの「無知」が世界と日本を混乱させた
メディアは称賛するが支那人の傲慢と無作法を見誤った
文化文明から一番遠い支那人
ヘンリー・キッシンジャーが先日、100歳で亡くなった。
日本の新聞はその名に気圧されたのか、毛沢東の支那を自由世界に引き出したとか、ベトナム戦争を終結させたとか、尤もらしい評伝を書いていた。
中で産経新聞だけはベトナム戦争当時のサイゴン特派員だった古森義久に「キッシンジャー外交の大失態」の見出しで尊大にして傲岸な勘違い男を書かせていたのが面白かった。
だいたい、あのころの支那は鎖国中で支那人は国外に出られなかった。
それがキッシンジャーのせいで支那人が日本にまでやって来た。
途端にピッキングだATM泥棒だと犯罪が急増し、ODA詐欺で3兆円、おまけに尖閣まで事実上盗られてしまった。
米国自身も後にピルズベリーが告白しているように知財も軍事機密も盗まれて儲かったのはキッシンジャーとクリントン夫婦だけだった。
今、世界は傲慢で無作法な支那人にうんざりしている。
それもこれもキッシンジャーが支那人(漢民族)の正体を知らなかったせいだ。
彼らは支那4千年の歴史を奴隷で過ごしてきたから文化文明からは一番遠いところにいた。
唯一の文化があの纒足だ。
本当の蛮人だった。
そんな支那人をまともと信じた。
その意味で田中角栄も同罪だが、不見識は0DA3兆円で始末をつけた。
ベトナム和平も酷かった。
古森はパリ会議の中身は「米軍の全面撤退と米軍捕虜600人の解放」だけで南ベトナムの安全は一語も語られていない。
「要するに米国にとっての和平だけ」(同)だったと。
それでノーベル平和賞はないだろうといっている。
北ベトナムのレ・ドクトは正直にノーベル平和賞を断り、さらに2年間、南を攻めて75年4月に全上を掌握した。
サイゴンの旧米国大使館にベトコンの戦車が乗り入れる幕切れはまだ記憶にある。
結果、「南も共産化され、民は塗炭の苦しみを味わい、多くの民がボートピープルとして国外に脱出した」と理解されている。
古森のコラムも同じだ。
こちらは当時、社会部記者。
外電をそのまま信じ、そう思っていた。
ボートピープルが日本海に流れてきて救助され、彼らの望む米国に飛んでいったこともあった。
でもベトナムから漕ぎだしても海流のせいで日本には来ない。
阿倍仲麻呂みたいに逆戻りするはずで、ヘンだと思っていから案の定、福建辺りの支那人がボートピープルを装って日本経由で米国に不法に潜り込んでいたことがバレた。
この稿続く。