女性がやたらと強いベトナム…この国は女で持つ。

以下は高山正之の論文の続きである。

女性がやたらと強いベトナム
 
その後、外信部に出て、ベトナム戦争後のあの国を北のドンダンから南のチャンバンまで旅した。
その後も宮崎正弘らと再訪もしている。
そして報道とは全く違うベトナムを見た。 
まずあの国は暗い共産国家どころかラブホテルが乱立し、料理屋も満席で、みんなで人生を楽しんでいる。 
もう一つ。
支那を嫌う。
キッシンジャー毛沢東を通して和平の道筋を付けたなんて真っ赤な嘘だ。 
ランボー』の映画では女が虐待されるが、この国では女がやたら強い。 
「男はだめだね」と元ベトコンの女闘士グェン・ティティはいう。
彼女は初めて17度線を越えホーチミンに会っている。 
統一後はサイゴン市長を務め、日越合資のサイゴンサタケなど80社を経営する。
社の幹部はみな女。
ハリウッド映画で女スナイパーが米兵を震え上がらせるが、あれは実話。
この国は女で持つ。 
米軍撤退後の2年間の戦争も、実は祖国を取り戻すためだった。 
仏印時代、フランス人は支那人を使ってベトナム人を支配した。
人頭税に加え、結婚、出産、葬式にも課税され、その徴税を支那人がやった。
阿片も売り、支那人は準支配階層を構成した。 
戦後、ベトナム人ディエンビエンフーの戦いでフランス人を追い出した。 
次にベトナムを共産勢力と誤解したケネディ政権が介入。
世にいうベトナム戦争が始まったが、これもほぼ10年間の戦いの果てに米軍撤退で終わった。 
そして最後の2年を戦ったのは祖国を完全掌握し、ベトナム社会に深く根を張る支那人を排除するためだった。 
統一ベトナムは手始めにサイゴンの隣の支那人街ショロンを制圧し、家の壁も天井も壊して隠して金銀財宝を押収した。
支那人は競って海に脱出した。 
ボートピープルとは実は逃げ出した支那人を意味する。
それを大陸からきた支那人の海賊が襲った。
ときには殺した。
支那人の国民性がよく出ている。 
宮崎正弘と再訪した折の通訳はショロンの支那人だった。
父は政府役人、母は教師だったが、ともに解雇、失職した。 
家は壁も天井も剥がされ、財産を失い、彼も支那人という出自で「大学進学もできなかった」と嘆いていた。 
ケネディ政権の国務長官マクナマラは後に「我々は東南アジアの歴史を知らなかった。誤解していた」と発言。
ベトナム戦争は外国勢力から祖国を取り戻す民族自決の戦いだったと認めている。
この稿続く。