まずはジョージ・ヒックスが慰安婦拉致の吉田清治の嘘を直訳して『Comfort Women』をシドニーで出版、慰安婦の嘘を世界に広げた。

以下は、2015/2/28に出版された高山正之の著作「アメリカと中国は偉そうに嘘をつく」からである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明している。

随分前に、世界中のプリマから大変な尊敬を受けているモナコ王立バレエ学校の老女性教授が来日した。
その時に彼女が芸術家の存在意義について語った言葉である。
『芸術家が大事な存在なのは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する事が出来る唯一の存在だからです。』
彼女の言葉に異議を唱えるものはいないだろう。
高山正之は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるだけではなく、戦後の世界で唯一無二の芸術家と言っても全く過言ではない。
一方、大江…彼については、故人を悪くは言いたくないが、村上等、作家と称する人間達、自分達を芸術家だと思いこんでいる人間達の多くは、芸術家の名にも値しない存在なのである。
何故なら、彼らは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現するどころか、朝日新聞等が作り出した嘘を表現して来ただけの人間達だからである。
彼らの様な存在は、日本に限らず、世界中の国においても同様なはずである。
つまり、真の芸術家とは、極少数しか存在していないのである。
私が、今の世界で、最もノーベル文学賞に相応しいのは、高山正之を措いて他にはいない、と言及している事の正しさを、本論文も見事に証明している。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。

逆恨みから悪質になったオーストラリアの反日
日本とオーストラリア(豪州)が初めてお互いを意識したのは20世紀初め、豪州ビクトリア州の沖合で起きた2000トンタンカー『ペトリアナ』号の座礁事件だった。 
州政府は救助船を差し向け、乗員63人のうち船長以下の白人36人を救助した。
しかし支那人とマレー人の水夫27人は荒波に翻弄される船に置き去りにされた。
豪州の連邦移民法が有色人種の入国を禁じていたからだ。 
支那人たちは5日後、日本の貨物船に救出され、全員無事に香港に戻った。 
南の果てで起きた事件はおかげで世界に知れわたった。
豪州の日本への逆恨みはここから始まったといわれる。 
だいたいこの国は育ちが悪い。
英国の罪人流刑地だった米国が独立したため、新たな流刑地として豪州の歴史が始まった。 
だから住民の9割が元犯罪者で、前首相ケビン・ラッドの祖先も下着泥棒だったと先日の外電が伝えていた。 
ところがそんな囚人の島でも住んでみると本国より気候がいい。
それで罪人以外も入り始めた。
豪州人が「祖先は1801年以後に入植した」とよく言うのは「先祖は流刑者ではありません」という意味を持つ。
かくて白人というだけが取り柄の犯罪者の国が生まれた。 
彼らは先住民アボリジニの土地を奪って開拓し、週末にはウサギとアボリジニ殺しを楽しんだ。
「今日の収穫はアボリリジニ27匹」と記された1927年の日記がシドニーのど真ん中にあるニューサウスウェールズ州図書館に残されている。 
彼らが毎日アボリジニを殺している時期にペトリアナ号騒ぎが起きた。
なんで有色人種を助けねばならないのか、というのが当時のビクトリア州民の偽らざる思いだった。 
ウィリアム・ヒューズ首相もこの州出身で、第一次大戦後のパリ会議に出たら日本から人種平等案が出されていた。
彼はウッドロー・ウィルソン国際連盟を脱退すると脅して人種平等案を葬り去らせた。
ペトリアナの恨みの一部を晴らせたと思ったことだろう。 
同じころ、豪州人ウィリアム・ドナルドがニューヨーク・ヘラルド紙記者として支那に入り、やがて蒋介石の顧問に納まった。 
その蒋が張学良に捕まる西安事件ではドナルドが蒋の妻、宋美齢を伴って西安に飛び、張学良を説得した。
反日勢力の分裂を防いだ」とニューヨーク・タイムズのハレット・アベンド特派員が書いている。 
西安事件の翌年、日本軍は南京を落とす。
ここにも豪州人ハロルド・テインパーリが出てきて南京大虐殺の虚報をマンチェスター・ガーディアンに流した。
米国人ベイツやマギーやフィッチや神に仕える神父が嘘づくりを手伝った。 
戦後。
マッカーサーに仕えて東京裁判を仕切ったウィリアム・ウエブも豪州人。
通州事件を却下し、事後法の遡及という破廉恥をやってA級戦犯を死刑にした。 
東ティモールに赴任した豪領事ジェームス・ダンは「戦時中、日本軍が島民4万人を殺した」と主張した。
俺たちはアボリジニを殺しまくった。
日本人もやっただろうという下衆の勘ぐりが生んだ嘘だ。 
この島は400年間、ポルトガル人が植民地にした。
戦前の白人の数は510人と記録が残るが、島民については一切の人口統計もなければ、学校もないし共通語も持たせなかった。
同じ状況だったインドネシア人が日本の3年間の統治で共通語を持ったのとは大きな違いだ。
因みに東ティモールでも日本軍は植民地政府に命じて島民への塩税を廃止させている。 
ダンの中傷は早大教授の後藤乾一が検証もせずに朝日新聞に書き写し、主筆船橋洋一は「日本は東ティモールに賠償すべきだ」と書いた。
朝日は支那だけでなく豪州にもおべんちゃらを使った。 
90年代は反日豪州人の大攻勢があった。
まずはジョージ・ヒックスが慰安婦拉致の吉田清治の嘘を直訳して『Comfort Women』をシドニーで出版、慰安婦の嘘を世界に広げた。 
シドニー・モーニング・ヘラルド紙のベン・ヒルズは『プリンセス・マサコ』で皇天子妃を囚人と書いて日本を嘲(あざわら)った。
ライアン・コネルも英文毎日で下品な文章で日本人を辱めた。 
そして止めが支那大好きの陸克文ことケビン・ラッドだ。
彼は捕鯨アボリジニ殺しより悪いと国際刑事裁判所に訴えた。 
人口2000万の国でかくも反日が多いことに驚く。
そんな国に支那と韓国の反日団体慰安婦像を建てたいと言った。
間違いなく建つ。
そういう国だ。