冤罪の素…朝日はいつも馬鹿な側に付いて人を不幸にする。これがそれを悟らせるいい機会になればいいが。

2023年7月20日

以下は本日発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明している。
随分前に、世界中のプリマから大変な尊敬を受けているモナコ王立バレエ学校の老女性教授が来日した。
その時に彼女が芸術家の存在意義について語った言葉である。
『芸術家が大事な存在なのは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する事が出来る唯一の存在だからです。』
彼女の言葉に異議を唱えるものはいないだろう。
高山正之は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるだけではなく、戦後の世界で唯一無二の芸術家と言っても全く過言ではない。
一方、大江…彼については、故人を悪くは言いたくないが(下記の高山正之に倣って言えば)村上等、作家と称する人間達、自分達を芸術家だと思いこんでいる人間達の多くは、芸術家の名にも値しない存在なのである。
何故なら、彼らは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する、どころか、朝日新聞等が作り出した嘘を表現して来ただけの人間達だからである。
彼らの様な存在は、日本に限らず、世界中の国においても同様なはずである。
つまり、真の芸術家とは、極少数しか存在していないのである。
私が、今の世界で、最もノーベル文学賞に相応しいのは、高山正之を措いて他にはいない、と言及している事の正しさを、本論文も見事に証明している。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。

冤罪の素
米軍占頷下の昭和24年7月、国鉄総裁の下山定則が失踪し、翌朝、綾瀬駅近くで轢断死体となって見つかった。 
GHQから国鉄職員の大量解雇を要求され、かなりの心労があったという。
前夜に仮泊した旅館の仲居の証言もある。
その果ての自殺と思われた。 
ただ死んだのは国鉄総裁だ。
所見は権威ある東大法医学教室の古畑種基教授にお願いした。 
型通りの検視で済むと思ったら、この権威には現場の知識がまるでなかった。 
汽車に櫟かれれば体はバラバラになるが不思議なもので出血は少ない。
こちらも駆け出し記者のころ、よく列車飛び込みの現場に行かされた。 
常磐線の水戸・偕楽園の下、千波(せんば)湖に沿う辺りが飛び込みの名所だが、轢断死体は見ても血の海を見たことはなかった。 
櫟死に出血は少ない。
しかし現場知らずの古畑はそれを知らなかった。 
首を傾げた末の鑑定結果は死後轢断。
つまり国鉄総裁は何者かに血を抜かれて殺され、走る貨物列車に投げ込まれたのだと。 
誰かがそれを笑えばよかった。
恥はいっときだ。 
しかしみな沈黙し、馬鹿な朝日新聞に至っては本気で「米軍が血を抜いた」なんて書いていた。 
かくて古畑の暴走が始まる。
下山事件のすぐあとの弘前大教授夫人殺しでは那須与一の末裔、隆のシャツの滲みを人血と鑑定して真犯人にしてしまった。 
以降、四国で金貸しが殺された財田川事件や宮城の松山事件、静岡の幼女殺害事件など難事件が古畑鑑定によって次々解明され、みな死刑判決が下された。 
状況に無理があっても検事も裁判官も東大の権威に付き従った。 
そして20年経った昭和46年。
弘前大教授夫人殺しはオレがやった」と滝谷某が名乗り出てきた。 
三島由紀夫の死を賭した檄に感銘し、オレも一生に一度は正しいことをしようと告解を決意したという。 
警察も滝谷が真犯人と確認した。
那須隆は全くの無実だった。 
すぐ再審請求が出されたが、なぜか仙台高裁は申請を却下した。 
その翌年、古畑種基が物故した。
つまり再審があっても東大の権威が証言台に立って恥を哂す事態にはもうならないということだ。 
高裁はすぐ再審を始めて那須の無実を認めた。 
続いて古畑鑑定が決め手となった財田川事件の谷口繁義らの再審が相次いで認められていった。 
古畑鑑定はみな覆されて谷口ら三人が死刑囚監房を出ていった。 
東大の権威は失墜し、鑑定は東大と慶応が交代で務めるよう改善された。 
下山事件で古畑を担いだ朝日は面目を失ったが、そこはこすい新聞だ。
一転して今度は「何でも冤罪だ」と言い出した。
首都圏でOL10人を殺した小野悦男も朝日が執拗に無罪を言い張り、人権派の竪山真一裁判長が無罪放免させてしまった。 
小野はかなりの国家賠償金を手に、娑婆に出るとすぐ次の女を殺した。 
冤罪キャンペーンは広がり、大阪で小6少女が焼け死んだ事件も弁護側が「ホンダの軽からガソリンが漏れた」説で再審を要求。 
少女は義父に犯され、生命保険もかけられていた。
保険金殺人事件にしか見えなかったのに冤罪ブームのおかげで無罪になった。 
因縁がつけられればどんな極悪人でも冤罪で無罪になりそうだった。
朝日はその先導役に納まり、今は一家四人殺しの袴田事件再審に傾注する。 
先日、その再審が決まると紙面はもはや「再審イコール冤罪の証明」みたいな調子で綴られる。 
そしたら静岡地検が「再審では袴田の有罪を再立証する」と言い出した。 
再審は決して無罪の証明じゃない。 
「なぜなら過去の冤罪はすべて古畑種基のせいだった。しかし古畑はもういない」という主張だ。
朝日はいつも馬鹿な側に付いて人を不幸にする。
これがそれを悟らせるいい機会になればいいが。