農業や林業の労働は、外国人労働者などに頼らず、日本人の(B)・(C)クラスとのドッキングを図るべきだ。 

そのテストの結果を言えば、100点満点とすると、トップクラスの高校入学者は、98点前後、最下位クラスのそれは、5点前後、なのである。
2019年12月24日 
以下は月刊誌Hanada今月号の巻頭を飾る加地伸行氏の連載コラム「一定不易」からである。 
このところ、さまざまな異様な事件が起っている。
遠くからではあるが、それら事件をじっと見ていると、なぜそのような事件が起きるのか、そのわけが分ってきた。 
もし老生が指摘するそのわけが当っているならば、それに基づいて対処することだ。 
メディアを通してであるが、老生、諸事件をこう見る。
それは、人間集団における一般論の延長線上に見える姿である、と。 
読者諸氏よ、貴殿の小中学生時代のことを想い出されよ。
率直に言って、クラスの2割くらいは、物事を理解し、自立できる。
次いで6割ぐらいは、なんとかやってゆける。
残りの2割は、どうにもならない。
それは、能力・性格の問題である。 
例えば、大阪の公立高校の場合、100校以上あるが、入学試験は同一問題。
そのテストの結果を言えば、100点満点とすると、トップクラスの高校入学者は、98点前後、最下位クラスのそれは、5点前後、なのである。
この格差はだれも否定できない。
現実だからだ。 
すると、高校入学以後、悲劇が待っている。
すなわち高校課程の中身を能力的に理解できない者が2割から3割ほどいるのである。 
その悲劇は実は、中学校においてすでに始まっている。
例えば、数学の2次函数は、おそらく半数の者は分らないことであろう。 
老生、その昔、大学生のころ家庭教師をずっとしていた。
ある男子高校生を担当したときのこと、2x=6という式の意味、どのように手を替え品を替えて説明しても理解できない。ホント。
1時間も費してやっと理解させたときは、嬉しかった。
しかし、翌週に行くと、もう分らず元の木阿弥。
分らん者は分らんのである。
ほんと。 
さりながら、それは教育のしかたとか、教育の内容の問題ではない。
恐るべき現実が、問題の根源にある。
それは何か。 
こうである。
中学校卒業生からの高校進学者は、全国的に何パーセントか御存知か。
なんと99パーセント弱、実質的にはほぼ全員の高校進学と言っていい。 
となると、(A)分る2割、(B)なんとか分る6割、(C)分らない2割の比率そのままの3年間ということ。
しかし、高校では、分らない者は切り捨ててゆくのが現実である。 
その昔、高校進学者が少なかったころ、その(C)クラスの男子の大半は、社会に出て働らいた。
主としていわゆる肉体労働であり、例えば鶴嘴(つるはし)を振って働らき、現場技術を得ていた。 
しかし現在はどうか。
鶴嘴を振う肉体労働は、機械の進出・採用に由って、消えていってしまった。
すると、そういう肉体労働に向いていた(C)クラスの人々は、働らき場所を失なってしまったのである。 
となると、訳の分らぬサービス業に就くとか、やっと大学へ進学して卒業後は無職とか、という内に、世の中が嫌になり、引きこもりとなってゆく者が多いことであろう。 
(A)や(B)の上部半分ぐらいまでの層は、なんとか自力で働けることであろうが、(B)の下部や(C)の人々は、いろいろ大変なのである。
肉体労働-それは必要である。
農業も機械化されつつはあるが、基本的には肉体労働である。
その農業は食糧生産という最重要産業である。
農業や林業の労働は、外国人労働者などに頼らず、日本人の(B)・(C)クラスとのドッキングを図るべきだ。 
以上、述べてきた人々は、主として男性についてである。

一方、女性がいる。 
女性については、老生、論ずる自信がない。
ただ一つ断言できることは、社会性が乏しく、断然自己の幸せを追求する。
それは本性として正しく、それでいい。
いつか論じたい。 
話をもどすと、日本社会の安定のためには、現代における肉体労働(例えば農業)の場を作り、それに適した人々を集めることだ。 

古人曰く〔不仲の呉人・越人であっても〕その船を同じくして【河を】済(わた)るや、風に遇へば、その相ひ救くるや、左右の手のごとし、と。

2023/11/23 in Kyoto