彼の至言のお陰もあって私は共産主義が如何にダメなものか。マルクスが人類に対して大損害を与えた、とんでもない馬鹿者であると確信した

2022/1/27
2019年03月15日に発信した章を若干の修正を加えて再発信する。
一昨日の夜NHKBS1で世界のドキュメンタリー「人民と独裁者の夢宮殿」を観た私は、古田博司教授の至言を思っていた。
彼の至言のお陰もあって私は共産主義が如何にダメなものか。
マルクスが人類に対して大損害を与えた、とんでもない馬鹿者であると確信したのである。
古田教授は古代専制国家の特徴は巨大建造物の建立であると解明した。
正に彼の言う通りだったソ連、東欧。
全ての共産主義国家が行った事は古代専制国家への回帰以外の何物でもなかったからである。
私は昨日、新聞を読んでいなかった。
今日、読書家の友人が、昨日の産経新聞古田博司教授が寄稿していた事を教えてくれた。
私は又しても物事には呼応と言う現象があると思った次第である。
古田教授は、私や高山正之と同様のユーモアのセンスを持っている。
具眼の士は、皆、大笑いしながら以下の論文を読んだはずである。
だが、この論文は戦後の世界で最高の論文の一つである事に思いが至って襟を正したはずである。
この論文は、例えば、完璧な大江健三郎の否定であり、彼に代表されるいわゆる文化人達に対する、これ以上ない見事な否定だからである。
見出し以外の文中強調は私。
社会主義経済という人類の愚行
古田 博司
筑波大学大学院教授
フェイクに満ちていた生産運動 
1991年11月22日付の『労働新聞』を読んでいた私(当時38歳)は、北朝鮮で新しい生産運動が始まったことを知った。
こうして研究者は一部同業者以外、誰も関心のない論文を書くことになる。
それはむなしい過程なのだが、自己の分野を知見で徹底的に埋めていくことは、将来のために重要なことである。 
その生産運動というのが実にくだらない。
もとは商業部門だった鄭舂実が、50万トンの蚕を生産、1万5干匹のビーバーと300匹の黒銀ぎつねを育て、500㌧の山菜を採取し、労働英雄として表彰された、という。
まず数字は誇張されているので無視する。
以後、北全土に「鄭舂実運動先駆者大会」が拡大していった。 
その頃書いた論文には「該当者は商業部門など、流通の停滞で閑職に追いこまれた幹部がほとんどで、旅館・食堂・商店の閑職が加わっていた。この運動は、仕事のない者、なくなった者を生産や採取に駆り立てるものだった」とあるだけである。
実は書いている本人が、北で何のために党がこのようなことをしているのか、正直分かっていなかったのだ。 
普通、社会主義経済に関心のある研究者は工業化や軍事化ばかり研究する。
工場や農場からの上納金は、これらの部門に集中投下されるからである。だが党機関紙は、くだらない生産運動、「働かない者を働かせる運動」で満ちている。
重工業や軍事は秘密なので出てこない。
発電所の記事は出てくるので、電力からそれを類推する論文は書いたことがある。 
その後2009年、ルーマニア生まれのドイツ人作家ヘルダ・ミュラーが『狙われたキツネ』でチャウシェスク政権下のルーマニア経済社会を描き、ノーベル賞を取った。
その邦訳を読むと直観が電光のように到来した。
ここから分野を埋め尽くしていた知見への逆算が始まる。
社会主義経済とはフェイクであり、向こう側の経済学的根拠をもたない。ゆえに社会主義経済論は永遠に生まれない」
これが私の結論だった。
需要も供給も分からない 
社会主義経済とは、19世紀の遅れたマルクス経済学を20世紀の経済に応用したものである。
その結果、マーシャル以後の需要・供給の経済学を知らないものだから、ウリは作りすぎて農場の片隅に積まれて腐臭を放ち、鉄鋼は工場の中庭で赤サビの塊と化した。
そもそも需要・供給を知らずに計画経済なんかできるわけがない。
統計局は、工場や農場から上がって来るどんぶり勘定の計画書にバンバン判を押した。
ホラ吹きの中国ではこの水増しが特にひどかった。 
マルクス経済学は「労働価値説」である。
生産労働は価値を生むが、流通は価値を生まないとする。
それで社会主義国では流通がほとんど無視された。
運送がダメだから食料は配給制になりソ連では長い行列ができた。
中国の都市では糧票が配布された。
北朝鮮ではトラックがないので労働新聞を列車で運んで駅でおろした。
ここに鄭舂実運動がつながる。
翌月にソ連が崩壊した。
ソ連からの援助が先細り、北朝鮮では閑職だった流通部門の者を山に駆り立てて、狩猟・採取経済をさせたのである。
これは古代経済であろう。
社会主義経済とは「古代経済のマルクス経済化」ではなかったのか。
作りすぎた消費財闇市に回り、足りなくなった生産財は専門職がトラックで運んで埋めた。
これをソ連ではトルカーチといい、北朝鮮では資材商社という。
悲しいまでにくだらない。
文系教授の多くは冷戦の敗残兵 
もっとも古代経済らしかったのは、共同農場(中国は人民公社北朝鮮は協同農場)であった。
もともとはソ連のプレオブラジェンスキーが「社会主義剰余価値の生産」と言ったものを、スターリンが実践した。
1929年末からソ連では全土に広まる。
国家が農民を直接搾取する機構である。
そこには古代らしく専制支配・身分制(地主出身・貧農出身云々)が色濃く残り、農民は疲弊した。 
今日、社会主義経済は全部崩壊した。
工業・軍事の部門は、核・ミサイルや宇宙開発に突出して残った。
北朝鮮などはもう飛ばせる航空機がない。
だから金正恩ハノイまで列車の長旅をした。
また中国に飛行機を借りるか、そんな屈辱はもうたくさんだろう。 
冷戦期、日本の文系の大学教授のほとんどが社会主義マルクスが好きだった。
彼らはヘーゲルマルクス進歩史観というフェイクで未来を先見した。
そして資本主義陣営の政治や経済の実務家達と時代を二分した。
ソ連崩壊後も20年間、彼らは好きなものを手放さなかった。
結局、何の役にも立たないものとして批判され、2015年からは大学文系改廃へと追い込まれていくのである。
彼らは冷戦の敗残兵だ。 
彼らは冒頭にきまって、著名な西洋人の理念や理論を持ってきて論文を書いたものだ。
だがそんなものにはもう普遍性はないのだ。
その間、私はくだらない論文をたくさん書いて時を埋めた。
(ふるた ひろし)