ところが、文系学問の中には、理系の私から見ると、学問をしているのか政治をしているのか見分けがつかないような「学問」が横行していることに気づいた。

大学で教職に就いてから、われわれが受けた教育とは全く別の価値観で動いている「学問」があることを知った。
2018年05月04日
以下は前章の続きである。
学者の思い込みに人工知能で反撃 
この調査で得られた結果は、私の経験則に合致する部分が多い。
筆者は大学時代に理学部で生物化学を学び、大学院では工学系研究科で人工知能に関する研究に取り組んだが、その頃から学問論や科学論について強い関心を持っていた。
それで科学哲学の本を多数読み、関連する研究室の勉強会にも参加したのだが、そこで遭遇したある発言に驚いたことを今でも鮮明に覚えている。 
「これは○○先生が言っているから正しい。」 
権威主義に落胆した瞬間である。
この種の発言は理系の研究室では考えられない。
しかし、この出来事は序章に過ぎなかった。 
大学で教職に就いてから、われわれが受けた教育とは全く別の価値観で動いている「学問」があることを知った。
自然科学においては、できるだけ主観を排して実験結果を解釈するように厳しく訓練される。
当然ながら、政治的配慮で実験結果をいじったり、その解釈を歪めたりすることなど、もってのほかである。
だからこそ、学問は政治から独立していなければならない。
ところが、文系学問の中には、理系の私から見ると、学問をしているのか政治をしているのか見分けがつかないような「学問」が横行していることに気づいた。 
同じ学問を名乗りながら、全く違う規範に基づく活動が行われている。
この混乱を収拾するには、学問の定義から始めなければならない。
そこで2005年に執筆したのが『学問とは何か』(大学教育出版)である。
同著では、人文科学、社会科学、自然科学など、「科学」と名のつく学問は「予測する力を持つ体系的知識」という要件を満たす必要があるとした。
実験結果を都合よく操作するような学問は、当然ながら予測力は持ちえない。 
最近では、小保方女史の研究不正問題をきっかけに、研究倫理が厳しく問われるようになったが、先日、研究倫理の教育推進に関するシンポジウムでまた驚愕のシーンに遭遇した。
医学系出身で長年国立大学の学長を務めた人物が、研究不正が起きる背景として壇上でこう述べたのである。 
集団思考に陥ると不正が起きる。自民党と一緒である。」 
こういう場で政治的発言をすることの不適切さに気付かない人が、研究倫理教育の中心にいるのかと思うと、暗澹たる気持ちにならざるをえない。 
もちろん、自民党が他党に比べ集団思考に陥っている客観的な証拠があって言っているなら話は別である。
しかし、少なくとも私の研究ではその反対の事実を示す結果を見出している。 
約10年前より、筆者らの研究グループでは、文系学問に科学の手法を持ち込むべく、情報工学を用いた文書分析の研究を行っている。
一般には、ビッグ・データ、データ・マイニング、テキスト・マイニングなどと呼ばれる分野である。
その研究の多くはビジネスへの応用を想定しているが、筆者は国会会議録など主に政治に関する文書の分析に取り組んでいる。
その一環として行ったのが、国会での発言がどの党の議員によるものなのかを言い当てる人工知能の作成である「2」。
1999年から2008年までの国会会議録を機械学習して得られた判定システムに、各議員がどの政党に所属するか、自民党公明党民主党(当時)、社民党共産党の5択で判定させたところ、最も正解率が高いのは共産党(93%)、逆に最も正解率が低いのは民主党(65%)であった。 
つまり、共産党は議員の意見が最も画一的なので、人工知能も「共産党」と判別し易かったのに対し、民主党は議員の意見が最も多様で共通点が見出しにくいため、正答率も下がったと解釈できる。
共産党に所属する議員の意見が画一的であるということは、同党が最も集団思考の傾向が強いとも言える。
逆に民主党の所属議員の意見が多様ということは、分裂しやすい党であるとも言えるが、その予測は民進党分裂で見事的中した。 
自民党民主党の次に低い正解率7割であった。
この客観的データに基づけば、自民党集団思考であるという批判は正しくない。 
この研究結果をベースとして、同システムによって、世の中の言説の政治的バイアスを測定できるのではないかと考えた。
各種言説がどの政党の議員の発言と類似度が高いかを数値的に出せるからである。
最初に行ったのが新聞の社説への応用である。
朝日新聞毎日新聞日本経済新聞、読売新聞、産経新聞の5社を対象にしたところ、朝日新聞が当時の野党三党(民主党、衽民党、共産党)と最も類似度が高く、逆に産経新聞が最も低いという、一般的な認識に沿った順当な結果が出たものの、いずれの5紙も野党との類似度が与党のそれを上回った。
新聞社説は基本的には何かに批判的なスタンスで書かれることが多いため、こうした結果が得られたと考えられる。
この稿続く