無知で傲慢不遜なエマニュエル米国大使と、彼と同様に無知で愚劣な政治屋達が必読の論文。

朝日も同性愛者も性先進国日本の歴史をもう少し勉強するがいい。
2021年04月22日
再発信する。
以下は本日発売された週刊新潮の掉尾を飾る高山正之の連載コラムからである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストである事を証明している。
青木理朝日新聞論説委員等の類とは格が違う。別格なのである。
無知なだけではなく傲慢不遜なエマニュエル米国大使は刮目して読まなければならない。
彼と同様に無知で愚劣な政治屋達も必読である。


LGBT先進国
江戸時代の川柳に、 「親鸞と弘法裏腹を許し」 というのがある。
親鸞は禁欲するだけが修行ではない。肉も食え、妻も娶れと説いた。 彼自身も恵信尼を娶り、6人の子を儲けている。
一方の弘法は山に籠って修行する僧に衆道、つまり男色を公然、許した。
女人禁制のお寺では中学生くらいの男の子が坊主の身の回りを世話する。
稚児と呼ばれ、彼らが衆道の相手になった。真言宗天台宗華厳宗の寺でそれは盛んだった。
親鸞と同時期の東大寺別当の宗性が「稚児を抱きすぎた」「百人の大台は嫌だ。今は九十五人目だけれど」と起請している。
冒頭の川柳は、親鸞は坊主が正常位で妻を抱くのを認め、弘法は後背位で稚児を抱くのを許した、の意だ。
坊さんの悦楽は武士や公家社会にも広まった。
足利義満世阿弥を可愛がったのはよく知られる。
今の山口、島根を束ねた戦国武将、大内義隆もその流行りに嵌った。
あるときイエズス会のザビエルがきて「ソドミズム(男色)は許されない」と説教した。
大内は「他人様の性の好みをとやかく言うな」とザビエルの無作法を叱った。
ザビエルは後に余計なお世話を詫び、大内は許して今の山口市の大道寺を与えて布教の場とさせた。
江戸時代に入るとあらゆる性の嗜好が花開いた。
きっかけは京都六条の舞台で男の衣装をまとった出雲阿国と言われる。
四条の女郎たちが彼女に倣って張り見世を四条河原で演じた。
張り見世とは花街の口明けに女郎が格子の向こうで踊って見せる客引きショーのことだ。
それを小屋掛けし、もっと際どい舞台を演じ、おかげでたくさん客が取れた。
かくて女歌舞伎は性産業として大いに栄えたが、阿国から30年後、風紀紊乱の廉で禁止された。
女が駄目ならと今度は若衆歌舞伎が出てきた。男が女装する女形の登場だ。
これが妖しい魅力を撒いて庶民も楽しむ稚児ブームが生み出された。
女装(transvestite=TV)ごっこは米国ではベトナム戦争ころから始まった。
今ではマンハッタンの通りごとにTVショップが繁盛する。
その先駆けとなった若衆歌舞伎は、しかし女歌舞伎と同じに風紀紊乱が過ぎて20年余で幕となった。
しかし幕府も野暮では務まらない。
江戸では公認花街として吉原を認めたが、なし崩しに新橋や麻布十番など非公認の岡場所61力所も黙認された。
それを結んだのが山手線になる。
衆道専門の陰間茶屋(かげまちゃや)も黙認されて湯島や芝神明、日本橋芳町は賑わった。
当時のキリスト教イスラム世界では同性愛は死罪だったから、日本の大らかさは寛容を超えて異様に見えたことだろう。
その寛容さは今も続き、おかまがおかまゆえにテレビタレントになっている。
そんな寛容から同性愛者たちが、ときに人並みの結婚をしたいと言い出した。
先日も3組の同性愛者が札幌地裁に結婚を認めろと訴えて、女の裁判官は「同性婚に法的保護を与えないのは違憲」の判断を下した。
同性同士だと配偶者の健保を使えないとか、生保の受取人にもなれないし遺産の分与にも与れない。それが差別だと言う。
馬鹿な朝日新聞は主要国で同性婚を認めないのは日本だけ、日本は遅れているとか偉そうに腐す。
朝日も同性愛者も性先進国日本の歴史をもう少し勉強するがいい。
例えば民俗学折口信夫は若い弟子、藤井春洋を愛した。
召集され硫黄島に散る春洋を折口は釈迢空の名で歌に詠み続けた。
二人の仲を柳田国男も知っていた。
同性婚は社会の和を乱す。ならば養子縁組をしたらと勧めた。
折口は春洋を我が子と届け出た。
逆縁とはなったものの春洋は法的に妻以上に保護され、折口の名も名乗れた。
日本人は楽しむことの天才だが、同時に寛容と調和も忘れない。
ただ朝日的な無知傲岸は嫌う。