現行憲法にはこの国体の明徴化がなされていない
そして、現行憲法は戦後の「偽善」の根源であり、日本の歴史・伝統・文化を骨抜きにしてしまったとして、警鐘を鳴らすために自らの腹を切った。
日本の混迷の要因
三島が描いた憲法像はどんなものだったのか。
三島は自ら結成した民間防衛組織「楯の會」に44年12月、「憲法研究会」を立ち上げた.
『新憲法に冷ける「日本」の缺落』と題した8千字に及ぶ討議のたたき台を示し、翌年5月13日の第1回研究会でそれを基に議論を始めた。
「現在の日本の混迷の要因を考えるに、日本の国家像がはっきりしていないという点が挙げられる。日本の国体とは何か。端的に言えば、天皇御方(おんかた)にほかならない。天皇ご自身が日本の国体である。ところが、現行憲法にはこの国体の明徴化がなされていない」
「現在の日本の混迷の要因を考えるに、日本の国家像がはっきりしていないという点が挙げられる。日本の国体とは何か。端的に言えば、天皇御方(おんかた)にほかならない。天皇ご自身が日本の国体である。ところが、現行憲法にはこの国体の明徴化がなされていない」
研究会のメンバーだった山口良男によると、三島は会合の冒頭そう切り出すと、神武天皇から今に至る歴史を踏まえて近視眼的な議論にならないようクギを刺したという。
日本語として醜悪
三島はその後、『「戦争の放棄」について』『「非常事態法」について』を研究会に示す。
そして、〈われわれは、日本的自然法を以て日本の憲法を創造する権利を有する〉とし、〈天皇の問題は、憲法改正のもつとも重要な論點(ろんてん)であって、何人もこれを看過してぃ改憲を語ることはできない〉と明記した。
さらに改憲のやり方にも触れている。
〈現憲法の第9条だけが改正されるならば、日本は楽々と米軍事体制の好餌となり、自立はさらに失はれ日本の歴史・傳統(でんとう)・文化は、さらに危殆(きたい)に瀕する〉
研究会の作業は三島の死後も続けられた。
そして46年2月、原稿用紙200枚の改憲草案『維新法案序』が完成するが、三島は見ることはなかった。
「50年後に再評価」
元楯の會1期生は「先生 (三島)」は『理解されるには何年もかかるだろう』と話していた。今の世代には理解されないだろうが、あと50年ほどすると、優れた人が出てきて、自分たちの行為に光をあてて再評価してくれると思っていた」と振り返る。
(敬称略)