私は毎日聴いていたのだが、この番組で、私に最大の衝撃を与えた二つの曲があった。
2020年10月06日
それでは全く健康に良くないので、最近は、殆ど観なくなった。
観てもスポーツの結果だけ。
夜9時、映画でも、と思って衛星放送の番組表を見たら、「風立ちぬ」。
普段は、私は日本映画は殆ど観ないのだが観てみようと思った。
理由は二つ。
このバーは当時、好きなバーの一つだった。
親友は彼女とは顔見知りだったらしく、彼女に気が着いて会釈した。
それで私も彼女を見たのだが、テレビで観るよりも、ずっと綺麗で、とてもいい雰囲気の女性だったから驚いた。
それと、画面を観た瞬間に分かったからである。
この映画は、画面構成も含めて、しっかりお金をかけて作られていた。
更に、出て来た学生の帽子や制服が、我が母校にそっくりだった。
おまけに履いていたのは下駄。
多分、腰に手ぬぐいもぶら下げていただろう。
ひょっとして私が彼らの詩集を購読し出し、新潮社の世界詩人全集をほぼ全部買い求めたのは、中学生時分に読んだ「風立ちぬ」の影響だったのだろうか。
音楽はレコードの時代でFM放送が全盛だった頃、FM大阪には、洋楽で話題の新作LPをまるまる聞かせる番組、「ビート・オン・プラザ」があった。
私は毎日聴いていたのだが、この番組で、私に最大の衝撃を与えた二つの曲があった。
ボブ・マーリィの♪No Woman No Cry♪とテレビジョンの♪Guiding Light♪である。
私が大変な衝撃を受けたのも当然だったわけである。
言ってみれば、ヴェルレーヌが米国のロックバンドに姿を替えて現代に出現した。
それがテレビジョンの♪Guiding Light♪が私に与えた意味だったのである。
平和ではなかった家庭的な不幸…受験を控えた最も大事な時に、次兄と父親が争っている場面に遭遇した。
家庭が平和でなかった原因が、父親が、「火宅」の人間だった事を初めて知ったのだが、それは今更、どうでも良い事だった。
問題は、家が抵当に入っている云々だった。
私は完全に腰が抜けた。
家とは未だ自分の力では生きて行くことは出来ない子供にとって、夕暮れになれば一斉に巣に帰る鳥達の様に、ねぐら、なのだから。
その日から、私の人生は横道に逸れざるを得なくなったのである。
「君は京大に残って、あの大学を、君の両肩で背負って立たなければならない」と告げてくれた恩師たちの期待を叶える人生の正反対を歩み出したのである。
だが、私が、私の人生を持って証明した事は、特に米国民には、衝撃的な事実だろう。
大学を出る事は、実は、人生の全てでは全くない。
何しろ、京大や東大等の国立大学等を除いた大半の大学は、大学と呼ぶのも、おこがましいのが実態なのだから。
だから大学卒の犯罪者等が後を絶たない。
大学卒業どころか、小学校卒業等の学歴で、偉大な企業を起こした偉人たちも少なくない。
私が言論で生計を立てている人間だったならば、「大学に行かずとも、所謂、大成功は誰にでもできる」という衝撃的な本を書いて大ベストセラーになっていた事だろう。
日本学術会議は、一体、何様のつもりだ。
立憲民主党は、中国に如何に対処するか、一刻の猶予も、一瞬の油断も許されないという状況の中で、こんな戯けた事を利用して政権攻撃をしている場合か。
自分が三流学者である事も知らないだけではなく売国奴に等しい事にも気づかない唐変木に対して、国が莫大な研究費を出すような馬鹿な真似を、菅義偉内閣が行うわけがないことすら分からない程に、朝日やNHK等のメディアは愚かなのである。
この稿続く。
2024/9/5 in Onomichi