竹島問題だって朝日新聞がいい加減を書いて彼らの嘘を放置した結果ではないのか。

以下は、2015/2/28に出版された高山正之の著作「アメリカと中国は偉そうに嘘をつく」からである。
本論文も彼が戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであることを証明している。

随分前に、世界中のプリマから大変な尊敬を受けているモナコ王立バレエ学校の老女性教授が来日した。
その時に彼女が芸術家の存在意義について語った言葉である。
『芸術家が大事な存在なのは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する事が出来る唯一の存在だからです。』
彼女の言葉に異議を唱えるものはいないだろう。
高山正之は戦後の世界で唯一無二のジャーナリストであるだけではなく、戦後の世界で唯一無二の芸術家と言っても全く過言ではない。
一方、大江…彼については、故人を悪くは言いたくないが(下記の高山正之に倣って言えば)村上等、作家と称する人間達、自分達を芸術家だと思いこんでいる人間達の多くは、芸術家の名にも値しない存在なのである。
何故なら、彼らは、隠された、隠れた真実に光を当てて、それを表現する、どころか、朝日新聞等が作り出した嘘を表現して来ただけの人間達だからである。
彼らの様な存在は、日本に限らず、世界中の国においても同様なはずである。
つまり、真の芸術家とは、極少数しか存在していないのである。
私が、今の世界で、最もノーベル文学賞に相応しいのは、高山正之を措いて他にはいない、と言及している事の正しさを、本論文も見事に証明している。
日本国民のみならず世界中の人達が必読。

バターン死の行進」の前に米軍が無差別を殺戮した罪を問え
真珠湾攻撃とほぼ同時のフィリピン・クラークフィールド爆撃に次いで、本間雅晴中将以下4万の将兵は2週間後の昭和16年12月22日にリンガエン湾に上陸し、3倍の米比軍を駆逐していった。 マッカーサーは震え上がってマニラ放棄をワシントンに伝え、バターン半島へ撤退を始めた。
臆病者の逃げ足はいつも速い。
開戦の直前にルソン島に着いたばかりの戦車隊員レスター・テニーも臆病さではマッカーサーに負けていなかった。 
彼の戦車隊は日本車との邂逅(かいこう)を避け、ひたすらバターン半島を目指した。
小さな集落に差し掛かると「白人には日本人とフィリピン人の区別もつかないから小屋も商店も無差別に斉射し」住民を皆殺しにしていったと著作『バターン死の行進』に書いている。 
身分証明のないものも「即座に殺した」「日本軍に密告されそうだったので4軒の民家を家族ごと戦車砲で吹き飛ばした」とも。
正確にはユダヤ系だが、テニーは白人には有色人種を殺す特権があると思っているようだ。 
彼はその半年後、日本軍に投降し、たった12キロ先の収容所まで歩かされた。
行程の半分は「貨車に乗って」(同)の移動だったが「それは地獄の行進だった」と大げさに騷いで日本を告発し続け、愚かな岡田克也外相は彼を日本に招いて謝罪した。
ついでにフィリピン政府に彼を引き渡して無事の民を殺しまくった罪で裁かせればよかった。 
同じころ、英領ビルマでも「神の如く」振る舞ってきた英国人が日本軍進攻に震え上がっていた。
昭和17年2月、つまり日本軍がもうそこまで来ているとき、名門ラングーンCCで月例クラブチャンピオン戦があってR・ハミルトンが84という歴代最下位のスコアで優勝した記録が残っている。
日本軍?それがどうした風に振る舞ったつもりだろうが、スコアは彼らの恐怖心を正直に伝えていた。 
彼らはまず家族をインドに逃がし、日本車がラングーンからマンダレーに迫ると総督ドーマンスミスらは神様のポーズもかなぐり捨て北の密林に分け入ってチンドウイン川から峻険な山越えでインパールに脱出していった。 
その2年後のインパール攻略戦では日本軍はこの総督の逃避行の足跡をなぞっていった。 
配下の英印軍はしっかりしんがりを守るはずだったが、まずインド兵が逃げ、英士官も雪崩を打ってそれを追った。
マンダレーの南西約百キロのタウンサで英士官ジェラルド・フィッツパトリックの隊は小さな集落の人々に行き会った。
あとは米兵テニーと同じ。
「敵に通報されないために集落にいた子供を含め27人を皆殺しにした」と84年7月10日付サウスチャイナ・モーニングポスト紙に告白している。 
米も英も植民地支配は過酷だった。
逃げるときは仕返しが当然あるから、先手を打って殺すのが彼らの形だった。 
日本は英米とはまったく違う統治をした。
台湾では烏山頭ダムをつくった八田與一の妻外代樹(とよき)が戦死した夫を追ってダム放水路に身を投げた以外は、多くの日本人は台湾の友人に見送られ粛々と本土に引き揚げて行った。 
ただ朝鮮半島は人間が違った。 
北朝鮮羅南に住んでいたヨーコ・カワシマの家族は朝鮮人軍属が貴金属供出を口実に土足で上がり込んでくるまで彼らの本性を知らなかった。
彼らはヨーコの文鎮から母がかけていた金縁の眼鏡まで奪い取っていった。 
母とヨーコがこの危険な町を脱出するところから「ヨーコ物語」は始まる。
テニーと違って日本人は先手を打って彼らを無差別殺戮することなど思いもしなかったが、この半島に限ってそうすることが正しい選択だった。 
ヨーコは逃避行の折々に朝鮮人たちが日本人の家屋を略奪し、落ち行く人々を襲ってば殺戮と強姦をほしいままにするのを目撃した。 
この本は米教育委員会から中学生の副読本に指定されたが、06年に在米朝鮮人会が大騒ぎを始めた。
朝鮮人が強姦好きの残忍な民族なんて言いがかりだと。 
そして米国在住の筆者ヨーコ・ワトキンズは、韓国人特派員も加わった糾弾集会に引きずり出され、謝罪を強いられた。
ボストン・グローブ紙はこの吊るし上げの模様と「ヨーコ物語」が副読本から外されたことを報じ、ワシントンにわんさかたむろする日本人の特派員たちがヨーコを最後まで無視したことを訝しんだ。 
しかし日本の資料は当然ながらヨーコが正しいことを証明している。 
引き揚げ途中に半島で強姦され、妊娠した女性は博多港近くの二日市診療所で麻酔なしの中絶手術を受けた。
昭和21年6月期だけの問診書でも「不法妊娠は47人。加害者は鮮人28人、ソ連人8人、支那人6人……」とある。
巷間には「野獣のようなソ連兵」が伝えられるが、実際は朝鮮人のほうが野獣ソ連人の3倍も危険な存在だった。 
ヨーコが見た「殺された引き揚げ日本人」の数は不明だが、05年、外務省は「ソ連が抑留した日本兵のうち27000人を北朝鮮に送った」と発表した。 
僅かな生還者の証言もあって、あの厳寒の地で食事もなしに酷使され、「屋外で寝かされる」虐待を受けたという。
その多くは非業の死を遂げたと思われる。 
先日、その北朝鮮から日本人の遺骨数千体が見つかったと日本赤十字に言ってきた。
朝日新聞は「ソ連の侵攻で旧満州から朝鮮半島に逃げてきた日本人が寒さと飢えで亡くなったのでは」と書く。
悪いのは旧ソ連だと。 
ヨーコの証言もある。
歴史が証明する朝鮮人の残忍さに目をつぶって、いい加減な記事を書き続けるのはもうやめろ。
竹島問題だって朝日新聞がいい加減を書いて彼らの嘘を放置した結果ではないのか。