1992年にロス支局長で渡米し、米国の新聞各紙を毎朝読むようになって一番驚いたのは、日本の悪口が必ず出てくることだった。

日本には、馬鹿は死ななきゃ治らない、という言い方がある。
世界中で、自分は馬鹿ではないと思っている人たち、つまり21世紀に真の知性を持って生きている人たち全員が必読の論文である。
私は本論文の英訳については、通常よりも大幅に時間を使った。
その理由は、世界中の慧眼の士は、黙って分かるはずである。
本論文は戦後の世界で最高の名文家でもある高山正之の傑作の一つだからである。
戦後の世界で最も偉大にして本物の学者の一人だった故・渡部昇一教授に対する彼の無限の敬意が籠っているからである。

渡部昇一の世界史最終講義」は、日本国民のみならず世界中の人たちが必読である。

それにいち早く気づいて、日本のためになる日本史を編んできた渡部先生は、不朽の仕事をされたと思う。
2019年05月18日
序章  なぜ、世界史対談か高山正之
「日本によるアジア破壊についての簡潔な報告」 
1992年にロス支局長で渡米し、米国の新聞各紙を毎朝読むようになって一番驚いたのは、日本の悪口が必ず出てくることだった。
40行ほどの短い社説でも、コリアと出てくれば、カンマして必ず「かつて日本に植民地化されたKorea, once Japan colonized.」という説明がつく。
94年の米朝交渉で核開発の凍結が取りざたされて以降、北では繰り返し飢餓が起きていたが、「かつて日本が植民地支配した北朝鮮で、飢餓が起きているstarvation in North Korea, once Japan colonized.」という報道が増えただけだった。
あんまり頭にきたので、米紙論説委員室に電話して、フィリピンに触れたときは必ず「かつて米国が占領し、40万人殺した」と書けよと抗議した。 
もう一つ頭にきたのは、米紙が東南アジアに触れると、これも必ずといっていいほど、「かつて日本が占領して残虐行為をしたSouth East Asia, once Japan occupied and conducted atrocities.]と挿入されることだ。
いちいち日本を引き合いに出す。
90年代まではこの書き方が恒常化していた。 
最近では手口が変わり、現地発のニュースとして、「日本の残虐行為」を思い出させるのが年中行事となった。
北京発の南京大虐殺、マニラ発のバターン死の行進とマニラ大虐殺と、シーズンになると毎年必ず現地記者に書かせる。
最近のお気に入りは七三一部隊で、例えばニューヨーク・タイムズは、フォーリン・アフェアーズの編集者、ジョナサン・テパーマンに「日本は朝鮮とシナ北部を残忍に搾取して己の足場を固めた。その象徴がし七三一部隊で、近隣諸国はことあるごとに、この残忍さの記憶が蘇る」と書かせた。
きっかけは、安倍が操縦席に試乗したブルーインパルスの機体番が「731」だったのだ。
ただそれだけのことに無理やりこじつけて空騒ぎしただけだった。オバマが広島を訪問する前にも、念入りにシリーズで日本の残虐行為を報じていた。 
要は、原爆投下や東京大空襲が米国による残虐行為 atrocities と指弾されないよう、先回りして「日本もこれだけ酷いことをやった」と潰しておく作業を、米国のマスコミは戦後70年経ってもまだ続けているのだ。
一方、歴史認識で日本人を叩きのめして、意気消沈させ、二度と立ち上がれないようにする。
そういう戦後洗脳のお先棒を日本国内で担いでいたのが、左巻きインテリと朝日新聞だった。
彼らの大罪を糺し、正しい歴史観に引き戻す戦いを、1970年代前半から40年以上も、屈することなく続けてきた第一人者が、渡部昇一先生だ。 
渡部先生と私との対談を公刊するのはこれが初となる。
ご逝去の5か月ほど前、世界史の中での日本の正しい評価をテーマに、じっくりお話しする機会を得た。
トランプ時代という歴史の転換点で“日本ファースト”の世界史の見方について論じたのだ。 
先の大戦侵略戦争と断ずる自虐を、渡部先生は「東京裁判史観」と名付けて、誰よりも早く警鐘を鵈らした。
その危機感が正しかったことは、江沢民が「日本に対しては歴史問題を繰り返せ」と訓示したことで証明された。
南京で30万人が殺されたと東京裁判で言ったベイツのホラ話を朝日と本多勝一が生き返らせ、さらに吉田清治の虚言を真実のように取り上げた結果、中国と韓国が外交戦略に利用するようになった。 
慰安婦や徴用工で中韓が共同戦線をとる悪影響は、国内での自虐論争とは次元が異なる。
渡部先生が第三章で若狭和朋を引用したように、スペインが歴史戦で敗者となった教訓は大きい。
かつて英国もフランスもオランダもポルトガルも、スペインと同様、巨大な植民地帝国を築いた。
中米、南米、カリブ海諸国、太平洋、アフリカに至る広大な植民地を有したスペインが歴史戦に敗れたのは、たった一冊の、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(岩波文庫)という薄いパンフレットによってである。 
1542年、インディオを奴隷として自分の農園で酷使していた聖職者のはしくれラス・カサスは、自らの罪滅ぼしの意味もあり、いかに他のスペイン人入植者が残虐か、フィクションも交えた報告書を国王に上奏した。
これが1552年に印刷され、欧米各国に広まることで、スペインは袋叩きにされた。
喜んだのは他の植民地帝国だ。
悪いのはすべてスペイン人となって、植民地がどんどん減っていく。米国は、スペインの勢力衰退につけ込んで、中南米カリブ海地域を自分の「裏庭」に囲い込んだ。 
これで分かるように、米英が世界支配に乗り出せたのはラス・カサスの本を巧みに使い回して、スペインの国家意識とプライドをズタズタに粉砕した結果だった。 
第二次大戦の前、アメリカ嫌いのフランコ将軍はヒトラーに、ドイツの核計画について助言をしようとしたが、ヒトラーは「スペイン人が何を言うか」と、まったく相手にしなかった。
かつての帝国の面影すらなく、他国から相手にされない。
国としての発言権を失ったスペイン人は内向きで無気力になり、国内の犯罪率も高く、1ブロック歩くごとに2回スリに遭うと言われるほどすさんだ国になった。
国の威信を失う怖さである。 
いずれ米中韓の悪だくみで、「日本によるアジア破壊についての簡潔な報告」が書かれるはずだ。
そのように世界史を見れば、朝日の犯した罪は日本人が想像しているよりもずっと大きいことがわかる。
それにいち早く気づいて、日本のためになる日本史を編んできた渡部先生は、不朽の仕事をされたと思う。
この稿続く。 

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